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2007年06月30日 / 月刊少年ジャンプの歯車が狂いだした時

 ちょっと前の話で恐縮ですが、月刊少年ジャンプ誌が休刊(廃刊)になりました。

 1989年には140万部あった発行部数ですが、現在では40万部ほどに。ジャンプを冠する雑誌が休刊というのにビックリですが、いくら雑誌受難の時代とはいえ、全盛期の4分の1まで発行部数が落ちたというのは減らしすぎだと判断されたのでしょう。

 月刊少年ジャンプを休刊にし、秋に新雑誌を創刊するそうです。

 ……あれ?

 通常、休刊というのは真っ赤っかな雑誌が続けられない為にとられる措置ですが、今回はそれとはちょっとニュアンスが違うようです。雑誌の大幅なテコ入れ&リニューアルとして見る方がシックリきます。

 マンネリのまま続けていても発行部数が下がり続けるのは間違いないから、新雑誌へとリニューアルし、新しい読者を獲得したい……とそんなところでしょうか。

 それはそれで構わないと思うのですが、報われないのが連載作家陣。新雑誌に移籍する人は少数で、殆どの漫画が最終号で「俺達の闘いは始まったばかりだEND」を迎えていました。始まったばかりの漫画も打ち切られましたし、20年続いた作品も容赦なく終了させられました。

 件については「どうしてこんなことになってしまったのだろう」と思っておられる方も多いかと存じます。「あの時こうしていれば……」「どこで選択肢を間違えたのか?」「いつ歯車は狂ってしまったのか?」と。そんなチュンソフト的な思考ですが、今回はそのヒントになるかも知れない号をご紹介します。

 これは月刊少年ジャンプ1996年の4月号です。既に減少現象が始まっていた月刊ジャンプですが、編集部の取った選択肢はエロ路線でした。とてもではないですが、少年誌には見えない表紙。煽りも「大胆&過激に春から女のコ大攻勢!!」となっています。エロ本か。

 紫田亜美先生の『自由人HERO』、八木教広先生の『エンジェル伝説』、佐藤正先生の『メダカの王国』、なかいま強先生の『わたるがぴゅん!』、黒岩よしひろ先生の『鬼神童子ZENKI』、浅田弘幸先生の『I'll』、今野直樹先生の『ダブル・ハード』と、様々な名作が連載していましたが、そういうのはあまりプッシュしていませんでした。

 今号から連載が始まった『つきあってよ! 五月ちゃん』より。増刊であるジャンプオリジナルからの昇格作品ですが、昇格した理由はご覧の通り。空手着がTシャツのようにビリビリ破れてます。

 『ゆらめき! パラダイス★GIRL』より。少年誌ではNGになっているビーチクですが、当時はバンバン出ていました。出せば出すほど人気があったようで、『ふたば君チャンジ』や『未来ちゃん旋風』が大人気でした。

 故・柴山薫先生の作品『爆骨少女ギリギリぷりん』より。もの凄いタイトルです。この前の作品である『ライバル』では、少々のエロはありましたが、正統派な内容を描いていたのにも関わらず、この変わりっぷり。

 新人作家だけではなく、ベテランにまでエロを描かせる辺り、編集部の意向が伺えます。なおこの後、柴山先生は本当のエロ漫画を描くようになります。

 こうなってくると、エクスタシー(オルガスムス)のホワイトアウト描写にしか見えません。

 さて。
 エロ路線で読者を繋ぎ止めてはいましたが、やがてPTAがうるさくなり、世相が変化すると共に、こういった路線で続けることは出来なくなりました。しかし、読者は正統派からエロを求める層に変化していました。

 一度失った読者を取り戻すのは至難の業です。正統派漫画を求める層が離れ、エロを求める層が離れてしまうと……結局誰もいなくなってしまいました。

 もしあの時、エロ路線をとっていなかったら? 正統派の少年誌のままで続けていたら? こんなことにはなっていなかったのかも知れません。まぁ、こんなのは埒のあかない想像なのですけども。

 とまぁ、恐らくはそういうことなんじゃないかなぁ、というお話。

コメント

月刊ジャンプで一番エロかったのは「ふたば君チェンジ」でしょう。
あれを超えるのはなかった筈。

この号覚えてる・・・。当時小学生で床屋で見てて、まともに見れなかった覚えが・・・。一番下の作品はなんでしたっけ?

この号覚えてる・・・。当時小学生で床屋で見てて、まともに見れなかった覚えが・・・。一番下の作品はなんでしたっけ?

↑二回すみません。

 > さん
 総合的には『ふたば君』ですが、一話辺りの濃さでは『未来ちゃん旋風』の方が上だった気がします。勿論、少年誌総合では『いけない!ルナ先生』ですけども(笑)

>dekoさん
 『ひと肌ぬいじゃう』ですね。読み切りでしたが、内容がないよう。

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