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2007年12月13日 / 偽閉鎖

 僕が世界一になれる可能性があるとするなら、それは偽閉鎖の数に関してだ。

 「今までありがとうございました。さようなら」的なことを100回以上繰り返した。始めは真面目に、次第に冗談に、最後は理由もなく。良く分からないが、僕は毎回更新をする度に閉鎖をした。大体、閉鎖なんて冗句なわけだから、そんな毎回通用するものではない。ある程度のパターンが終われば、その先には何もない。だけど、僕はそんな意味のない作業をずっと繰り返していた。何もないと思っているのに、毎回それを繰り返した。

 偽閉鎖の内容は管理人が隕石の落下でおっんだとかショッキングなものから、結婚して忙しくなったとか、理由がないとか、飽きたとか、小学校の時ランドセルを家に忘れたことを思い出したからとか、虚しくなるようなものまで様々。そういうことをずっとやってきた。

 読者も最初は僕の冗談に付き合ってくれた。けどそれも長続きしなかった。当たり前だ。毎回閉鎖するって言っても面白いわけがない。次第に飽きられ、無反応になり最後は何もなくなった。でも毎回誰かしら閉鎖を信じてくれたような気がした。閉鎖を信じるってことは、サイトに来なくなるっていうことなんだけど、まぁそれは置いておくとして。

 …あの偽閉鎖の数々は何だったのか。僕はなぜに更新の度にサイトを終了させていたのか。様々な閉鎖パターンを演出することで、エンターテイメントになるとでも思ったのか? 考えても良くわからなかった。「誰かに構ってもらいたい」的な幼児性の高いものだったような気もするが、それもシックリとこない。でも、何かが僕を動かしていた。僕を閉鎖に追い込んでいたんだ。

 ……。
 そんなこんなで月日が流れた。

 次第に記憶も薄れ、僕は日常の中にいた。当時のことなどすっかり忘れていた。だけどそれはいきなり閃いた。まるでドクがフロで転んで洗面器に頭を打って次元転位装置を閃いたかの如く! 閃光が走ったのだ。…要するに閉鎖とは究極の更新! 進化の果てに死(終焉)があるように、更新の果てにあるのが閉鎖だったのだ。全てのログが構築された時、何も更新することがなくなった時、その時に更新が終わる。それが閉鎖だったのだ。

 つまり、偽閉鎖とは究極の更新のメタファー。サイトの方向性に悩み、更新に行き詰まっていたあの頃。藻掻き苦しんだ自身が達してたのが閉鎖。でも実際に閉鎖するわけにはいかなかったから、偽閉鎖という手段を選んでいたのだ。知らず知らずの内に!

 そうなんだ。結局のところ、更新の先にあるものは閉鎖なのだ。これから先、更新を続ける中での最終到達地点がそれなのだ。それこそが究極の更新なのだ。

 それに今気付いたということは……それは即ち、そろそろ潮時ということなのかも知れないと僕は思った。

 今こそが、終わらせるタイミングなのだ。面白い更新を目指していた僕が辿り着いた究極の更新! それを実行する時なんだ! もう俺は…やりつくしたのだと思う。様々なことをやって、やりつくして。満足でした。辛かったこともあったけど、楽しかったことの方が多かったです。10年という年月もキリがいい。ありがとう! ありがとう! ありがとう! 僕はこのサイトがあったから、今まで人生を楽しく過ごせてきたのだと思う。そして、みんながいたからここまで続けることができました。このサイトがなかったら、僕の人生きっと詰まらなかった。退屈なものになってた。人生の支えになってくれた皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。

 そういうわけで、10年間ありがとうございました。サイトとしては終わるけど、みんなの心の中にいつまでも僕はいるよ! それじゃあね! 何十年か先に、今度はあの世で会いましょう。仮想世界で会って、現実世界では会わずの関係。あの世こそ、再会するのに相応しい。

 とまぁ、そういう偽閉鎖を100回くらいやっていたという話なんですけどね。最近、やらなくなったのは、少しだけ大人になったからだと思う。

 多分、本当にこのサイトが終わる時というのは、告知もなく更新停止になっていきなりnot foundになるという終わり方だと思うので、その時は上記の文を閉鎖文と致します。では。

コメント

8年くらい見てる気がしますネ
若かった…

や、すげー懐かしいっすね。僕も随分大人になりました。多分。
あと告知もなく死んだり移転したりしてるのに…いやはやありがとうございます。

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