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2008年03月02日 / 爺ちゃんグラフィティ

 爺ちゃんが癌と診断され手術をした。

 胃の何分の何を摘出し、絶対安静の小康状態。余命幾ばくか――とは言ってなかったが、話を聞く限りではそう長くはない感じだった。最近、母さんも忙しく病院へと世話に向かうことが多く、最近では朝方にいきなり呼び出されることもあった。何年か前では心停止した後に電気ショックで蘇るという、まさに死の淵にいたこともあった。人間いつかは死ぬ。普段はそれを敢えて忘れようとしているだけだ。人間の平均寿命を超え、傘寿を超え、活動限界が近かった。

 そんなのは当たり前のことで、誰しもが理解していることで、空は青い、メシを食べたら排泄する、殴られたら痛い、みたいな常識レベルな話と何ら変わりはない。

 現に日常には死が溢れている。新聞を見れば、毎日お悔やみ欄のスペースがギッシリになっているし、テレビを付ければ事故だ何だので死者の報道をしている。フィクションの世界でも登場人物は良く死ぬし、知人回りでも誰々の○○が亡くなったという話をしょっちゅう聞く。葬儀屋という職業が成り立ち、坊さんが食べていけるのも日常に死が溢れているからだ。

 しかしながら、身の回りで発生する死だけは特殊だ。人は人が亡くなるということを理解していながら、自分が死んだり三親等くらいまでの縁者が亡くなるという事実から目を逸らしてしまう。いや、わかってはいるのだけど、どうしようもない。もしそれがどうかできるとするなら、そんなのは人間ではない。

 理由は至極簡単である。寂しいからだ。今まで存在していた人がいなくなってしまう。なので寂しい。自分にとって思い出があればある程、寂しさは増してしまうわけで、だからこそ縁者の死は辛い。

 まぁ、僕と爺ちゃんの間にこれといった思い出はないんだけどね。一緒に住んでいたこともないし、爺ちゃんの家に遊びに行った時も相手にしてくれたのは婆ちゃんで、爺ちゃんは酒を飲んで箱根駅伝を観ているというイメージしかなかった。

 それでも僕にとってのルーツが爺ちゃんにあるわけで、この人が存在しなかったら、僕もいないわけで、そういった血の繋がりみたいなものが、この何とも言えない感慨を生んでいるのだと思う。これは感覚でしか語れないけど、誰しもがわかることなのではないだろうか。

 というわけで、その爺ちゃんのお見舞いを進められたのが先日だ。

 「アンタ、お爺ちゃんのお見舞いに行ってきなよ、喜ぶよ」

 やたらお見舞いを進める母さん。その勧め方がかなり強かったのは、爺ちゃんの余命がそう長くはないからだろう。生きている内にその面を拝んでおけと、そういう意味なのだと僕は理解した。

 というわけで、僕は爺ちゃんのお見舞いへと向かうことにした。実はここ数年爺ちゃんには全く会っていない。小学校の頃は夏休みとか、お正月に良く遊びに行ったけど、中学高校と成長するにつれて、そういう機会がなくなるというのは良くあることだと思う。勉強や恋愛に急がしかったのだ。嘘。

 爺ちゃんに会うのは何年ぶりだろうか。ぶっちゃけ、思い出せなかった。10年……ということはないだろうけど、5年は会っていなかった。婆ちゃんとはそれとなく会う機会があったのだけど、爺ちゃんはあまり動かない人なので、その機会が全くといっていい程なかったのだ。前回に会った思い出を探ろうとするのだけど、記憶の糸が解れない。結局のところ、それを思い出すこともなく、僕は病院へと向かった。記憶の中にあるのはコタツで酒を飲みながら箱根駅伝を見ている爺ちゃんのイメージのままだった。

 ――だからこそ、僕は病院で爺ちゃんに会うのが少し怖かった。執拗にお見舞いを勧めた母さん。長くはないことを物語るそれは、爺ちゃんが日を重ねるごとに弱っていることを示しているに違いないからだ。

 病魔に冒され弱っている爺ちゃん。顔色は弱く、意識は朦朧とし、髪は抜け落ち、目の焦点は合わず、やせ細り皮と骨。そんなのが連想された。元気だったお爺ちゃんのイメージがそれに変わってしまうことが怖かった。ひと目見て、爺ちゃんとわからなかったらどうしよう。

 だけど、会わなければダメだ。もう長くはないのだから。人間いつかは死ぬ。爺ちゃんも例外ではない。爺ちゃんの心中はわからないけど、死に目に孫に会えたとしたら、それは多少はコンマ何ミリかは嬉しいだろうから、いや、そんなのはこっちの勝手な想像かも知れないけど、母さんが「アンタが行ったら喜ぶよ」と言うのだから、多少は言うことを聞こうか的な親孝行感。結局、爺ちゃんの気持ちは僕が爺ちゃんの年齢になるまではわからない。まぁ、会いに行ってマイナスになることは有るまい。

 様々な思考が輻輳した所で、僕は病室のドアを開いた。一応、骨と皮状態の爺ちゃんを見たとしてもショックを受けない程度の覚悟は決めたところで。

 「おお、きたか。ガハハハハ」

 病室のベッドにいたのは、平均寿命を超え、傘寿を超え、癌の摘出手術を終えたばかりの死に損ない――とは思えないくらい元気な爺さんだった。当時の記憶と一発で重なり僕は項垂れた。

 OTL

 「ガハハハ」

 ――死ぬほど元気じゃないか。

 僕の今までの思考は何だったのだろう。まぁ、確かに余命幾ばくとか、死にそうとかは、僕が勝手に想像していただけだったのだけど、そりゃ状況を聞く限りではそう思うよ、思っちゃうよ。

 でも、あの元気さはないんでないの? 状況が状況なだけに、もうちょい死にそうな感じでも良かったんでないの? いや、良くはないのだけど、有り難いことなのだけど、このパターンは想定していなかったのでリアクションをまったくとれなかった。

 いや、僕の爺さんだとするならあり得るか。僕のルーツであるのなら。これは、アリか。

 だから僕は60年後に同じドッキリをしてやろうと思ったのだった。

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