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2008年03月19日 / ふと

 このサイトというのは、比較的自由といいますか、赴くままにとでもいいますか、適当におざなりなことを徒然と書いている場所だと思っていたのですが、実はそうではないことに気付いてしまいました。無意識のうちに、縛りを用意していることに気付いてしまったのです。

 たとえばですよ。

 『花園フォレスト』に出掛けて食べ放題の怖さを思い知ったとか、『サイデリア』に行ったら奥の喫煙席で妙にキンキン叫んでいる奴がいてうるさいなぁと思ったら妹だったとか、耳を綿棒でゴソゴソとやっていたら血が出てきて焦ったとか、最近人と目を合わせて話せなくなったとか、でっかいウンコをしたらケツから血(ケツ)が出てきたとか、実は廻りの人から恐れられているような気がしてきたとか、耳栓をして寝たら目覚ましの音までスルーしそうになって遅刻寸前だったとか、「ほいみん」ってハンドルネームの人が随分と増えたけど最初の人がこんな奴だとみんな知っているのだろうか? とか、マクドナルドのドライブスルーで毎回緊張するとか、高速道路のSAに哀愁を感じるとか、競馬で50万負けたとか、ゲーセンのUFOキャッチャーで5千円使っちゃったとか、一日のテレビ視聴時間が6時間くらいになっているとか、TARAKOが47歳で驚いたとか、実はプリクラをしたことがないとか、友達が一人もいないとか、あまり言葉を喋らない故に呂律が回らなくなってきたとか、車がパンクしたとか、1000万円使って1年かけて日本一周したいと思っているとか、『はだしのゲン』がトラウマになっているだとか、妹がMIXIユーザーだとか、最近納豆に嵌っているとか、自分が大好きであるとか、宇多田ヒカルが宇宙人みたいに見えるとか、スイーツという言葉を使っているのはゆとりだとか、いちごが好きとか、そういう話は自然と篩い落としていることに気付いたわけです。

 そうだ、そうだよ。こんなサイトだって、デタラメにやっているわけじゃないんだ。一生懸命やっているんだ。アメンボだって生きているんだ。だからこその選別。このネタは使えそう、このネタはダメ。いやん、あはん、そこはダメなのよん。じゃない。大切なのは読み終わった後の読後感で、クソ女みたいなオチのない話をしていてはダメなんだ。オチを付けられそうな話じゃないとダメなんだ。

 オチのない話なんていうのは、例えるならスッキリしないうんこをしているようなもので、うんこというのは放出後に爽快感があるからこそのうんこなわけで、スッキリできないなんて最低なわけだ。寧ろ不快感すらある。って、この例えの方が最低か。それにしても俺茶色ネタ好きだな。くくく。や、話が逸れた。前は割と潔癖性だったと思うのにいつのまにまに汚れてしまったのかと思いつつ、それが加齢なのだと自分に言い聞かせる俺。

 また、金魚のフンみたいな垂れ流しでもダメだ。一方通行にマシンガンでもダメだ。上の文章みたく垂れ流しても、誰も読んでくれないだろう。というか、多くの人が↑の羅列は飛ばしているに違いないわけで、それじゃあダメだよなぁと我ながら思う。だからこそ、ブチブチと段落を分けたり、ペタペタと画像を貼り付けたり、デカデカとフォントを大きくしたり演出しているわけだ。や、大きくしないですけどね。兎に角、そんな理由からけだ。縛りを設けちゃったわけだ。

 けどけどけどけど、そういうことをやっていると、このサイトの根幹にある俺様の自由がなくなってしまうことに気付いたわけで、このサイトというのは俺様が俺様の好きなように徒然と書き殴るところではなかったのかと自問自答。このネタは俺には面白いけど読んでいる人にとっては詰まらないよなぁ、という思考回路そのものがナンセンスなのではなかろうかと。そりゃあ読んでくれる人のことも大切だけど、その前に自分の息が詰まったら死んでしまうのではないだろうか。人生サイトに行き詰まってしまうのではなかろうか。

 や、何が言いたいのかと言うと、俺も真面目な話とかオチのない話を垂れ流したっていいじゃないか、というお話ですよ。円高差益還元による消費者物価指数の類推とか、道路特定財源の一般財源化による経済効果とか、ガイア理論とウラジミール・ベルナドスキーについてとか、そういう話をたまにはしてみたい。

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