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2012年02月04日 / ゲームとエンディング(とても散文です)

 エンディングを見るためにゲームをする、という言葉を最初に発したのは誰なのだろうかとふと思った。

 昔、有野課長が「そこにエンディングがあるからや」と言っていた。

 『こち亀』のドラクエ回でもエンディングを見るために云々の記述があった。

 思うに『ドラクエ2』くらいの頃には既にこの概念があったように思う。それ以前のことはちょっとわからない。

 しかし、僕はこの手の言葉を耳にする為に違和感を覚えていた。僕がエンディングを見る為にゲームをしたことが一度もないからだ。絵が良さそうとか、ストーリーが良さそうとか、システムが良さそうとか、このスタッフだからとか、おすすめだから、とかそんな理由だ。エンディングを見るぞ! と思いながら敵を倒すことはないし、レベルも上げないし、アイテムも集めない。

 RPGに関していえば、『ラスボスを倒す為』の方がしっくりくる。少なくともゲームにおけるエンディングなんてものはおまけ程度で目的ではない、というのが持論だ。

 そもそも昔のゲームにはエンディングそのものがなかった。だから、これは後付けの概念なのだ。エンディング協会の流した陰謀なのだ。エンディングを見る為にゲームをする、という文化を作ってしまえばエンディングの価値が上がる。そこに時間を費やすことができる。

 エンディング協会というのはゲーム屋のことで、自分たちの名前を広めるにはどうしたら良いのか? と考えている人たちだ。当時、ゲームとは会社が作ったもので、個人にスポットが当てられることはなかった。それはマズイと考えたわけだ。それなりのエンディングを作って、クレジットを流すことが出来れば個を広めることができる。

 (続く)

コメント

ゲームによりますね。
所謂ノベルゲーみたいなゲームは自分の場合
結末にたどり着く瞬間の達成感を味わいたいが為に買ったりする節があります。

 今のゲームに関してはそれもありなんだと思います。
エンディング=目的 が広まった理由って
何なんでしょうねぇ…。

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