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2012年04月13日 / 人呼んで「阿漕精神」

 『Fate/Zero』のスレッドを見ていたら「セイバーを女にする必要はなかったんじゃないのけ?」みたいな書き込みがあってカルチャーショックを受けたんですよ。確かにストーリー的に女にする必要は全くない。ってゆーか、元々は男だったわけで、それをエロゲにするから女にしたのであって、そこから派生した『Zero』なのだから、女セイバーになっているに過ぎないわけだ。

 この辺り、『Fate/stay night』からのユーザーであるなら疑問に思うことは全くない。しかし、『Zero』がアニメ化さて新規ユーザーが沢山流入してきた中ではあり得る現象なのである。うん、そうだよ。『stay night』は知らないけど、『Zero』は観ているというユーザーは結構多いんじゃないか…ということですよ。

 「別にそれでもええやん」と思われるかも知れないが、この物語に限ってはそれではいけない。『Zero』は『stay night』の結果を知っていることを前提として作られた物語だ。詳しいことは書かないが(わかるでしょ?)、『stay night』の結果があってこその『Zero』だ。『stay night』を知ってないと、いろいろ厳しい(精神的に)。だからこそ、わざと同人で発売して入手しにくくしていたし、『Fate』の世界をある程度知っている人が楽しんでね。というのが初期のスタンスだったように思う。

 しかし、時は流れてアニメ化された。それも非常に高いクオリティだ。『空の境界』で得た利益の殆どをここに費やしているのではないか? と思えるくらいのクオリティだ。そして、それは新規ファンの吸引に大いに貢献した。

 …大丈夫なのか、いろいろ。

 まあ、『Zero』やった後に『stay night』でも、『stay night』の後に『Zero』でもパラレルの理解度、意味合いは同じなのかも知れないけど、メンタルという意味では大きく異なってしまう。だから、僕は『Zero』からのファンが今からとても心配なのだ。

 ね?

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